運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
43件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1974-10-29 第73回国会 参議院 農林水産委員会 閉会後第2号

そうして、私がこれからお尋ねする背景には、先ほど鹿児島代表沖繩代表の要望がありましたし、また、最近私、北海道も調査してまいっております。で、そのことを先ほど報告もなされたわけですが、そういった背景に立ってこれから大臣質問をいたします。  まず第一に、倉石大臣日本における、政府における農政の権威と申しますか、そう評価されておる、私もその一人でございます。

喜屋武眞榮

1972-04-18 第68回国会 衆議院 内閣委員会 第12号

沖繩開発庁に、過半数沖繩代表からなる委員三十三人以内の沖繩開発審議会を設け、振興開発に関する重要事項を調査審議することといたしております。  第四は、地方支分部局についてでありますが、沖繩開発庁地方支分部局として沖繩事務局を置くことといたしております。  第五は、国の事務の沖繩県知事への委任についてであります。

大出俊

1971-12-21 第67回国会 衆議院 大蔵委員会 第18号

ただ、おそらく沖繩代表される場合に、県知事並びに議長市町村長並びに市町村議会の長までは、これはだれが見てもそこまでいけると思うのですが、ただあと五名をふやします際に、沖繩代表各界各層と申しましても、どういう地位にある者というのを書くのか、きわめて選択が困難な壁にそれから先はぶつかるということで、学識経験者を一応五名ということにされたのだろうと私はそんたくしております。

山中貞則

1971-12-20 第67回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

したがって、ただいま言われるように、喜屋武君はじめ、皆さん方が、やはり沖繩代表として、この国会に、大事な施政権返還の問題についても取り組むことができたと、かように私は思っております。また、喜屋武君自身が、復帰協、これ、長い間みずから主宰し、また、その先頭に立って戦ってこられただけに、私は感無量なものがあるだろう、かように思います。

佐藤榮作

1971-11-11 第67回国会 衆議院 沖縄返還協定特別委員会 第3号

西銘委員 沖繩の全県民が長年待ち望んでおりました祖国復帰を前にいたしまして、その最後の手続である返還協定審議にあたりまして、自由民主党代表いたしまして質問機会が与えられましたことは、沖繩代表といたしましてまことに感無量であると同時に、その重責をひしひしと感ぜずにはおられないのであります。  

西銘順治

1970-12-12 第64回国会 参議院 公害対策特別委員会、地方行政委員会、法務委員会、社会労働委員会、農林水産委員会、商工委員会、運輸委員会、建設委員会連合審査会 第2号

須藤五郎君 時間は少し余るようですが、私はできる限り沖繩代表喜屋武さんにも少しやはり私は時間を譲っていきたいと考えます。そこで結論を申し上げて、私はこの質問を打ち切ることにいたします。  企業政府の中には、企業が住民に与えた障害に対して、被害者に補償さえすればそれでよいという考えがあるならば、それは大きな間違いだと思います。

須藤五郎

1970-10-09 第63回国会 衆議院 農林水産委員会 第34号

機会であろうと思いますので、本日はこの程度にとどめますけれども、いずれにいたしましても、本土農業沖繩農業には内容としてまた違った性格の点もございますし、非常な立ちおくれといいますか、これから本土農業水準と匹敵していくためにも、また国際的にサトウキビあるいはパインが競争力を持っていくためにも、ずいぶん思い切ったことをこれから考えていかなければならぬということでありますので、国政参加に伴います沖繩代表

角屋堅次郎

1970-06-18 第63回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第16号

○中川(嘉)委員 沖繩復帰準備委員会は三月の二十四日に初会合を開いてから、毎月一回委員会を開いているわけでありますが、そもそもこの準備委員会というのは、日米政府代表で構成され、沖繩代表は入っていない。すなわち、行政主席が顧問という形で参加しているにすぎないわけであります。

中川嘉美

1970-04-23 第63回国会 参議院 議院運営委員会 第14号

その後、昭和四十三年十月九日には、日米協議委員会におきまして、沖繩代表国政参加については日米両国合意がなされ、さらに昨年十一月、佐藤総理アメリカを訪問し、ニクソン大統領との会談の結果、一九七二年中に沖繩復帰が実現される運びとなり、かかる情勢等にかんがみ、日本国民である沖繩住民意思わが国のあらゆる施策に反映させることが喫緊の必要となってまいったのであります。

渡海元三郎

1970-04-23 第63回国会 衆議院 本会議 第21号

その後、昭和四十三年十月九日には、日米協議委員会におきまして、沖繩代表国政参加について日米両国合意がなされ、さらに、昨年十一月、佐藤総理アメリカを訪問し、ニクソン大統領との会談の結果、一九七二年中に沖繩復帰が実現される運びとなり、かかる情勢等にかんがみ、日本国民である沖繩住民意思わが国のあらゆる施策に反映させることが喫緊の必要となってまいったのであります。  

田澤吉郎

1970-04-17 第63回国会 衆議院 議院運営委員会 第19号

しかるところ、御承知のように、昭和四十三年十月九日、日米協議委員会におきまして、沖繩代表国政参加について、日米両国合意がなされ、同年十二月十日、内閣総理大臣から両院議長に対しまして、この国政参加に関する合意についての立法上の措置につき御検討方願いたい旨の文書が参ったわけであります。

田澤吉郎

1970-04-15 第63回国会 参議院 予算委員会第一分科会 第3号

そしてすみやかに選挙法沖繩にも立法していただきまして、沖繩代表衆参両院の定数の方々が御出席いただける日を早くしたいというのが念願でございまして、その間において、政府そのものではございませんが、与党立場において政府と密接な関係にあります自民党の中における憲法論議等がございましたことは承知いたしております。

山中貞則

1970-04-10 第63回国会 衆議院 本会議 第19号

なお、本案に対し、自由民主党日本社会党、公明党及び民社党の四党共同提案にかかる、政府は、沖繩経済及び社会開発発展をはかるための基本的な施策を策定するにあたっては、沖繩代表を含む沖繩対策審議会等を設置し、沖繩住民意向を反映させること、また、復帰後の沖繩経済及び社会開発を強力に推進するため適切な措置を講ずべきであるとする旨の附帯決議を付することに決した次第であります。  

池田清志

1970-04-09 第63回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第11号

一、本法第四条第三号における沖繩経済及び社会開発発展を図るための基本的な施策を策定するに当つては、沖繩代表を含む沖繩対策審議会等を設置し、沖繩住民意向を反映させること。  一、沖繩復帰した際、復帰後の沖繩経済及び社会開発を強力に推進するため適切な措置を講ずること。   右決議する。  

鯨岡兵輔

1970-04-02 第63回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第9号

そのことは気持ちの上で同じ民族、同じ国家になったという喜びの裏に、沖繩に生活することについて国民としての喜びというものを奪い去る結果になりますから、私は、沖繩から国会議員が近く出られるでありましょうけれども、それまでの間、いまでも沖繩代表国会議員立場気持ちでこういうことを推進していかなければならないと考えておりますから、私の構想には数多くの障害がありましょう。

山中貞則

1970-02-17 第63回国会 衆議院 本会議 第4号

国政参加沖繩代表にいかなる権限を与えるか等につきましては、目下国会で御検討いただいている段階であり、政府としては、御指摘のような具体的な問題について、米側との折衝はまだ行なっておりません。これらの問題につきましては、米側といかなる協議を行なう必要があるか、これは国会の御決定を得た上で検討することといたします。  

佐藤榮作

1969-04-24 第61回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第13号

もちろん、沖繩のほうでは野党も与党もあるわけですから、主席かあるいは沖繩代表諮問委員会において合意を与ましても、それがすぐにそのまま沖繩国内法意思決定につながるわけじゃないですから、本土側法律ができ上がっても、それと矛盾しないような沖繩側法律がもし成立しなかったり、あるいは個々の問題でもって若干の行き違いがあったりすると、私は、その限りにおいては執行できなくなる、架空の条文をうたっておることになる

依田圭五

1969-04-11 第61回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第9号

そこで、私どもから考えますというと、国会決定をされてこういう権限沖繩代表に与えるということになるならば、おそらくアメリカは文句を言わないであろう、さように観測いたしております。  憲法とのかね合いでありまするが、私どもも、本土に帰ろうという基本的な願望の上から、いろいろ国会憲法を無視するようなことをしてくださいとは申し上げません。

星克